『田園の詩』NO.27  「過疎・過密」 (1995.4.11)


 私の母校でもあり、いま下の息子の通っている小学校の歴史は古く、今年度、
122回目の卒業生を送り出しました。全校児童44名になってしまった中の、たった
4名の卒業生でした。

 『贈る言葉』特集の学校新聞に、PTA役員として次のような文章を書きました。

 『山浦小学校は小さな学校です。だから、何をするにも皆んな一緒です。1年生は
 上級生について行くのに必死です。6年生は、たくさんの行事のたびに、下級生の
 世話をしなければなりません。

 卒業される皆さんは、たった4名で力を合わせて、それを立派にやりとげました。
 大きな学校の児童に比べたら、2倍や3倍も頑張ったといえます。

 これから上の学校に進むにつれ、大勢の中の一員となったら、「これは誰かが
 やるだろう」と思うようになるかもしれません。そんな人にはならないで下さい。

 山浦小で、自分達のため、皆んなのために、2倍も3倍も頑張って、先生や父母
 を感心させた皆さんですから、いつも自分の力を出し切って下さい。』

 私達は、今は中学生になっている長男が、小学校に入学する時に田舎にUターン
しました。女房の一番の心配は、少人数校での息子の学校生活のことでした。入学式
の日、笑顔の素敵な明るい先生が、5名の子供達を一度にやさしく包み込んでくれた時、
不安は一気に吹っ飛んだそうです。

 それ以来、子供を通して先生や父母との心の通う親密な関係を続けることができま
した。「疎なるが故の密」、田舎の生活の味わい深いところです。


     
      文章とは関係のない写真になってしまいました。
       栗の花と、実になる小さな赤ちゃんです。ここには2個付いています。
       私は知っていましたが女房は初めて見たそうです。   (08.6.17写)



 田舎では、ほとんどの人は顔なじみです。しかし、中には、暮らしぶりまで伺い知ろ
うとしたり、知りえた情報を言って回る人もあります。「過疎」の田舎でのこのような
「過密」こそ、都会の人や若者に嫌われるところだと思います。私達も一番嫌いな
部分です。

 ≪過ぎたるは及ばざるが如し≫ いつになったら、この「過」を乗り越えることがで
きるのでしょうか。人口に於いても、人間の意識の面に於いても。 (住職・筆工)

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